しあわせ村


(しあわせ村にて12/20)


善智識よ、我がこの法門は、従上已来(いらい)、先ず「無念」を立てて宗と為し、「無相」を体と為し、「無住」を本と為す。「無相」とは、相に於いて相を離る。「無念」とは、念に於いて念ぜず。「無住」は、人の本性なれば、世間の善悪好醜、乃至怨みと親、言語触刺欺争の時に於て、並(とも)に空と将為して酬害を思わず、念念の中に、前境を思わざるなり。若し前念と後念と、念念に相続して断ずれば、名づけて繋縛と為す。諸法の上に於て、念念住せずんば、即ち無縛なり。此れは是れ「無住」を以て本と為すなり。(六祖壇経)