大乗起信論メモ5

大乗起信論における「心生滅」における要点の1つとして[滅の意味]の記述を参照されておくことをお勧めします。<参>

問 : 今汝は[生滅心が]「滅する」と言ったが、しからば、刹那ごとの連続(相続)はどうなるのか。もし、刹那ごとに滅しても、生滅は連続連続するとすれば、[汝は]どのようにして究極的に心のはたらきが滅すると説くのか。


答 : ここでいう「滅」とはただ心の現象的なはたらきが消滅するということで、心の本性としての真実なあり方(心体=心真如、心性すなわち自性清浄心)自体が滅するのではない。・・・・(省略)・・・・心の本性がかわらずに存続するところに心の動き(生滅心)も刹那生滅を持続できるのである。ただ<根元的無知>(癡チ)が滅すれば、心の生滅する相はそれに伴って消滅する。しかし、心に本来そなわる[さとりの]智慧(心智)まで滅するわけではない[この智慧こそがさとりの後も、仏のはたらきを永遠に可能とするのである]。(心智は無漏の性功徳で、心体と不相離。)<岩波文庫大乗起信論 P218>


上記の「心の現象的なはたらきが消滅する」とはどういうことでしょう。


生と滅が入れ替わる瞬間を見いだし、心体(真如)が出現すれば、その間「心の現象的なはたらきは無い」のだけれど、その出現が長時間持続するわけではない。ここでいう「心の現象的なはたらきが消滅する」とは、その瞬間における心体の出現ではなく、智慧(心智)が生じることにより、無知が滅し、それに伴って生滅心が消滅してゆくことが述べられています。