Kanawai 'Apono


一連の書き込みの、参照文を紹介しときます。

『アーナンダよ、ここに比丘は、もろもろの欲を確かに離れ、もろもろの不善の法を離れ、大まかな考察のある、細かな考察のある、遠離から生じる喜びと楽のある、第一の禅に達して住みます。

つぎにまた、アーナンダよ、比丘は大まかな考察、細かな考察が消え、内心が清浄の、心の統一された、大まかな考察、細かな考察のない、心の安定より生じる喜びと楽のある、第二の禅に達して住みます。

つぎにまた、アーナンダよ、比丘は喜びが消えていることから、平静にして、念をそなえ、正知をそなえて住み、楽を身体で感じ、聖者たちが「平静にして、念をそなえ、楽に住む」と語る、第三の禅に達して住みます。

つぎにまた、アーナンダよ、比丘は楽を断ち、苦を断ち、以前にすでに喜びと憂いが消滅していることから、苦もなく楽もない、平静による念の清浄のある第四の禅に達して住みます。
(「大空性経」片山一良 訳)』