2013-05-01から1ヶ月間の記事一覧

イメージ(識)の世界28

熟睡状態のとき、識別作用もなく、太陽も存在せず、月も存在しません。ではブッダが知っている境地と熟睡状態とではどう違うのでしょうか。それは、目覚めの状態で、識別作用もなく、太陽も存在せず、月も存在しない状況を体験している、知っているというこ…

イメージ(識)の世界27

●活発さ、平安、内なる深い充足感は、基本要素として、すべて1人1人に備わったものです。 それらは、外側への探求によって得なければならないものではないのです。 しかし、霊的探求者も含め、誰もが何かを探しています。 自分を満たしてくれる、物や、体験…

イメージ(識)の世界26

「到来」を経験した者は、自分のサンカーラ(メモリー、ヴァーサナー)がどこに記録されているかを知っているし、覚醒を通路としてやって来る「深い慈悲」のことも知っている。また通路をふさぐものが何であるかも知っている。そして「到来」の次の段階を経…

イメージ(識)の世界25

●身体を壊り、表象作用と感受作用とを静めて、識別作用を滅ぼすことができたなら、苦しみが終滅すると説かれる。(ウダーナヴァルガ)上記を頭に入れて、次のブッダのことば(ウダーナヴァルガ)を読むと判りよい。●見られたことは見られただけのものである…

イメージ(識)の世界24

ところで、サンカーラ(行)とともに、理解しておくことがあります。 「識」です。これはイメージすること、抽象化することともいえる。このことについて、スッタニパータから引用させていただきましょう。●瞑想に入って座し、塵垢を離れ、為すべきことを為…

イメージ(識)の世界23

この深い慈悲(平安なる至福)は、この世のどんなものより素晴らしい「無私なるもの」。その後、世間一般の忙しさに戻ってしまえば、これは消え失せる。 そして、その忙しさの中にあって、その平安なる至福を取り戻そうと、苦労する。しかし、つかもうとして…

イメージ(識)の世界22

熟睡時からの目覚めに一瞬のチャンスがある。 しかし、これは(ごく普段の自分の身近なる)因縁があってのこと。 (ごく普段の自分の身近なる)因縁がなければ、ふつうの目覚めになってしまいます。 静かな至福という表現より、深い慈悲という表現の方がより…

イメージ(識)の世界21

狭き門は解脱の通路という別名があり、ここが開くと、静かな至福に満たされるとされていて、実際にこの静かな至福は経験できる。この狭き門の扉が開かれることの記述がないか、書籍やネットで調べてきましたが、かなり前にそのときの様子が詳しく書かれてい…

イメージ(識)の世界20

イメージ(識)の世界シリーズは3月から4月にかけて書いたもので、まだ続きがあるのですが、今眺めてみると、特にメモリー再生に関してのアドヴァイタの解説を仏教にあてはめようとしているところに無理が生じている。3/29の書き込みにもそのへんのところ…

イメージ(識)の世界19

> ということは衆生と解脱者との違いは、メモリーが再生されているか、メモリーが再生されていないかの違いになるということになる。とは書いたものの、世界の消滅を成し遂げたお方であっても、その後の生活はやはり、その世界で暮らしている。 世界があると…

イメージ(識)の世界18

> メモリーもフリダヤにあるとしているのだから ということは、目覚めているとき(普段時)、フリダヤの扉は開かれているということですね。そうでないと、メモリーは再生されない。ということは衆生でも、狭き門の扉が開いているということになります。とい…

イメージ(識)の世界17

ホ・オポノポノではでてくる感情、出会うものすべてをクリーニングしてゆく。 この方法は仏教の心の様態も、感受したあらゆるものを抽象化せずに観察するという方法に似ているといえば、似ている。4つの言葉を使うことによって、感受したあとの反応(スキと…

イメージ(識)の世界16

●記憶は悪者ではない。 記憶は悪ではないんだよ。 記憶がわたしたちを支えてきてくれたことは、いくらだってあるはずだ。 でも、わたしたちは記憶をそのままに放っておいてしまうと、 どうしたって自分を見失ってしまう。それが悲劇の始まりなんだ。 ウニヒ…