2013-02-01から1ヶ月間の記事一覧

慈悲と智慧12

1つの事象が起ったとして、その受け取り方は人様々です。洞察する者、素直に受けとる者もいれば、無視する者、批判する者もいるでしょう。反応は様々なのです。では、どのような方が因縁があって安らぎにはいるのでしょうか。ブッダは次のようにおっしゃて…

慈悲と智慧11

また、次のようなブッダのコトバもある。「ひとびとは因縁があって完き安らぎにはいるのである。」因縁にも様々なことがあるが、それがどのように作用するかは、当の本人次第である。因縁によって苦しむ方もいれば、因縁によって安らぎにはいる方もいる。そ…

慈悲と智慧10

仏の一撃やノックがなぜ起きるのでしょうか。長い期間修行したから? 熱心に修行したから?確かに、熱誠な修行を頑張り続けるのは、立派なことですが、ベースに、苦しみを終滅したい、罪穢れを滅ぼし尽くしたいという 心の底からの求めがあるから。次ような…

慈悲と智慧9

> スイッチがONからOFFに切り替わる一瞬の覚知である。これは、外からの仏の一撃である。> OFFからONに切り替わる一瞬の覚知であるともいえる。内からの仏のノックである。(1/30)

慈悲と智慧8

「そのものの実相に応じて、生じ、滅していることを観る。」というのはスイッチがONからOFFに切り替わる一瞬の覚知である。そのような観点では、慈悲の扉が開くのはOFFからONに切り替わる一瞬の覚知であるともいえる。なぜ、そのような一瞬の覚知があるのか…

慈悲と智慧7

前回の文章だけでは、解り難いかもしれないから、 その前文を紹介しましょう。『私がこうだとか、そうだとか感じるということは、 その時の色法、名法の細かな部分である感覚や思考によって騙されている、 或は、これらのもので幻想を作り上げているのである…

慈悲と智慧6

今日昼から、やけに書籍を調べたくなったので、あれこれ引っぱりだしてましたが、なんかシックリこない。 夕方からの来客食事接待のあと、気分転換にまた、先ほど書籍を手に取ってみたら、今日、書籍をひっぱり出したくなった理由がわかった。すぐに次の文章…

慈悲と智慧5

慈悲の扉は瞑想では開かない。 因縁があって、慈悲の扉が開く。 しかし、 名称に関する妄執は断ち切れても、 形態に関する妄執は断ち切れない。10数年、形態への妄執を断ち切ろうと苦心惨憺してきて、 年末にやっと、1つの妄執を断ち切れたように思うが、ま…

慈悲と智慧4

慈悲が心の奥から顕われるとき、思いはなく、世界はあるがままに見える。核融合太陽エネルギーのような慈悲のエネルギーは身体を壊さないように、その一部がハートから泉のように湧出する。Sun is my Heart .(1/24)

慈悲と智慧3

パパジのビデオを見ていたのは、20年くらい前だったと思う。「思考を止める」なんてことは、とうの昔に知っていたし、その経験もありました。しかし、改めて昨年の年末に納得できたのは、思考から無思考への切り替えを自在にできる一瞬をつかまえれたところ…

慈悲と智慧2

「思考を単なるモノとして見る」というのは テーラワーダ仏教の偉い坊さんがおっしゃったことなんだけど、 モノを形態という言葉に置き換えるなら、1つ目の扉が開かれれば、名称に関する妄執が断ち切られ、2つ目の扉が開かれれば、形態に関する妄執が断ち…

慈悲と智慧

1つ目の扉が開くとき、「ソレを名称とともに見る」ことと、「ソレそのものを見ること」ことの違いを体験的に知る。思考の中身を知ることと、思考を単なるモノとして見ることとを区別できるようになったとき、2つ目の扉が開く。1つ目の扉を開いたとき、仏…

知ると見る5

このように最初の扉が開いた後は、脳内ホログラム映像の様々な体験をしますね。 目を閉じているときばかりではなく、目を明けて活動中にも、 他の方には認識できない大きな地震を体感し、家屋が大きく揺れているのを見たりもしますね。もちろん、扉が開くと…