2013-07-01から1ヶ月間の記事一覧

viJJANa-maya dhamma2

ここで、四念処の「法念住」の解説を調べてみよう。 中部教典からではなく、阿含経から引用してみます。■修行者はあらゆる存在(諸法)が生まれ消滅する様子を瞑想し、安らぎと喜びに到達する。 そして、今ここに正しい正念が実現する。真に見ることができる…

ViJJANa-maya dhamma

> 普段の生活のしがらみから自由に離れることができる環境づくりがいかにできるか、環境を自ら変えてしまうときもあるでしょうが、 ある時期からまわりの環境が次第次第に変わってゆくこともある。 大切だと感じていたことが無くなってゆく時期がある。 そう…

viJJANa-maya my story

一昨日の夕刻時、外国(たぶん、中国か台湾)の方にスマホの地図を見せられて、お寺の場所を尋ねられたので、案内してあげました。 すぐ近くでしたが、細道の入り込んだところにあるお寺なんで、ナビ付きスマホでも判りづらかったんでしょう。しかし、日本語…

心07

苦が起きるメカニズムは、四念処経の二番目と三番目の「感受作用」と「心(想)」にも関係している。 「受」と「想」に関してのブッダ・レベルの表現に出会うとき、 ブッダの解脱に関する別々の語りが一瞬にして繋がる。そのタイミングが起きれば、「受と想…

心06

> 今日、たまたま手帳に描いてある心の図式図を眺めていて、ある仏教用語がこの図式の何に当たるのかと疑問が沸き、・・・ この図式(図解)の肝心なところ、これがブッダがおっしゃる 「無明が頭であると知れ。明知が信仰と念いと精神統一と意欲と努力とに…

心05

今日、たまたま手帳に描いてある心の図式図を眺めていて、ある仏教用語がこの図式の何に当たるのかと疑問が沸き、 保存したあった文章にその回答があるのを探しだせたとき、仏説のベールに包まれていることがあらわになったと感じました。智慧の輪が解けたと…

心04

> (無明に)覆われて凡夫は、諸のつくり出されたものを苦しみであるとは見ないのであるが、ということは、無明が無くなったお方は、諸々の作りだされたものを苦しみであると見、そこから離れようとするだろう。そして、すがたを好みで分け隔てて見るという…

心03

■(無明に)覆われて凡夫は、諸のつくり出されたものを苦しみであるとは見ないのであるが、 その(無明が)ある故に、すがたをさらに吟味して見るということが起るのである。 この(無明が)消失したときには、すがたをさらに吟味して見るということも消滅す…

心02

> ここで対象となるのは一瞬一瞬生滅変化する心である。 > 目に見えない宇宙の不思議な力・霊魂・一切衆生の内奥にあると願う自性清浄心(sabhAva-parisuddha-citta)・仏性などは対象外である。ということは菩提心、真如なども対象外ということでしょうね。…

「心」に関して「中山書房仏書林のダンマパダ」から引用させていただきます。●(心に関するすべての)法は、心が先立ち、心が最上の(主)であり、心より成る。 汚れた心で話したり、行ったり、(考えたり)すれば、荷車をひく(牛の)足を追う車輪の如く、 …