智慧の意識2
智慧の意識、方便、功徳について書きましたが、「縁起」に関することも付け加えておきます。
ブッダが直接表現である「意識」等の言葉を使わないのは、意識が固定されたものではなく、はたらきが起こったり無明に覆われてはたらきが起こらなかったりするにもかわらず、それが永遠不滅の固定されたものと理解されることを防ぐためでもあるのでしょう。
これは方便の巧みさといえます。
「意識」からのはたらきかけが起こったり、起こらなかったり、無知が消えたり、そのままだったりする一連のことが「縁起」です。
「縁起」が解るということは、智慧の意識、方便などこの世の有様が解るということです。
もちろん、ひろがりの意識も縁起します。縁起しているから、滅することができるのです。
そのことをブッダは
『ひとびとは因縁があって善い領域におもむくのである。ひとびとは因縁があって悪い領域におもむくのである。ひとびとは因縁があって完きやすらぎにはいるのである。このように、このことは因縁にもとづいているのである。』と表現するのです。
ひとは因縁があって智慧の意識を招き、巧みに使えるようになります。