道を歩く
「識」についての洞察も大事だが、それ以上に大切なことがある。
それは、あまりにもシンプルといえばシンプルで、
あたりまえといえば、あたりまえのことであるからだろう。
道を歩む人には、あまりにも明白なゆえ、至ってはじめてその大切さが解るともいえるし、
これが無ければ、道の歩みは一歩も進まないといっても過言ではない。
このことを述べておられる方もおられるが、
ワタシは当初、当たり前のことなんで、その方のソレについての書き込みを読んでも気にもせずにいたのだけれど、
「識」について書いてるうちに、これこそが、歩みを進めるものだということがアリアリ解ってきた。
それは、あたりまえがゆえに見えないともいえるし、いくら仏教に詳しくても、これがないと一歩も進まないどころか、
これなくして仏教について語るならば、転落の危険性さえあると思う。
以前にそれに準ずることを書いたことがありますが、
準ずることではないソレこそが因縁が起きる根本になるのだろう。(4/24)