高野山でカフェ


五蘊の「識」というのは世界を写す「鏡」と喩えることもできます。

受・想・行という機能を経て写すのですが、情欲、怒り等の煩悩により鏡に歪んだ象が映し出される訳です。

そしてお互い、歪んだ象を認識している。

それで、感受作用と表象作用を静め、形成力を捨て去ることができるよう、真相を洞察して、真理を見よと説かれる。<参考>

『与える者には、功徳が増す。
身心を制する者には、怨みのつもることがない。
良き人は悪事を捨てる。
その人は、情欲と怒りと迷妄とを滅して、束縛が解きほごされた。(大パリニッバーナ経4-43)』