善業


> 思考が「欲望、嫌悪、憎しみ、うぬぼれ、後悔」などに向かわず、善き計画に向くなら、良き結果に結びつくだろう。

ここで気をつけておいた方がよいことがある。

釈尊ブッダ)が側に立っていた悪魔に告げた言葉があります。


「怠け者の親族よ、悪しき者よ。汝は世間の善業を求めてここに来たのだが、
わたくしにはその世間の善業を求める必要は微塵もない。悪魔は善業の功徳を求める人々にこそ語るがよい。(スッタニパータ431)」

「わたくしには信念があり、努力があり、また智慧がある。このように専心しているわたしに、汝はどうして生命をたもつことを尋ねるのか?(432)」

「軍勢が四方を包囲し、悪魔が象に乗ったのを見たからには、わたくしは立ち迎えてかれらと戦おう。わたくしをこの場所から退けることなかれ。(442)」

「神々も世間の人々も汝の軍勢を破り得ないが、わたくしは智慧の力で汝の軍勢をうち破る。焼いていない生の土鉢を石で砕くように。(443)」


「善き計画」は「善業」になりうる。それゆえ、何を意志、意図するかが問題になってくる。

悪魔は何を望んでいるのかを見ているのです。