イメージ(識)の世界24


ところで、サンカーラ(行)とともに、理解しておくことがあります。
「識」です。これはイメージすること、抽象化することともいえる。

このことについて、スッタニパータから引用させていただきましょう。

●瞑想に入って座し、塵垢を離れ、為すべきことを為しおえ、煩悩の汚れなく、一切の事物の彼岸に達せられた師におたずねするために、ここに来ました。無明を破ること、正しい理解による解脱、を説いてください。(1105)

●ウダヤよ。愛欲と憂いとの両者を捨て去ること、沈んだ気持ちを除くこと、悔恨をやめること、平静な心がまえと念いの清らかさ、それらは真理に関する思索にもとずいて起るものであるが、これが無明を破ること、正しい理解による解脱、であると、わたしは説く。(1106,1107)

●世人は歓喜に束縛されている。思わくが世人をあれこれ行動させるものである。妄執を断ずることによって安らぎがあると言われる。(1109)

●どのように気をつけて行っている人の「識別作用」が、止滅するのですか?
 それを先生におたずねするためにわたしはやってきたのです。(1110)

●内面的にも外面的にも感覚的感受を喜ばない人、このようによく気をつけて行っている人、の識別作用が止滅するりである。(1111)

※感覚的感受を喜ばず、静けさと清らかさを心に起こせば、
 思考したこと、出会った人、ものに対しての識(イメージ、抽象化、感情)が止滅するということのようです。

逆のことをいえば、イメージしなければ、感覚的感受を喜ばず、妄執を断ずることができるということではないでしょうか。

この「識別作用」についても理解しておくことは、たいへん役立ちます。

さらにもう一文、識別作用について引用しておきます。

●識別作用が止滅することによって、名称と形態とが残りなく滅びた場合に、この名称と形態とが滅びる(1037)

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