viJJANa-maya dhamma2


ここで、四念処の「法念住」の解説を調べてみよう。
中部教典からではなく、阿含経から引用してみます。

■修行者はあらゆる存在(諸法)が生まれ消滅する様子を瞑想し、安らぎと喜びに到達する。
そして、今ここに正しい正念が実現する。真に見ることができるようになり、
迷いは放棄される。何ものにも依存することなく、雑念も浮かんではこない。
雑念がないので恐れがない。誕生と死はもはや存在せず、聖なるいのちは完遂され、
なすべきことはなされ、これより先に転生はなく、あらゆるものの本性が明るみに出される。
ブッダの気づきの瞑想より)


上記の説明は、諸法を無常と見る「無相解脱」に通じる。
これは「苦」が起きるメカニズムの洞察、ナーマ・ルーパの作用の洞察による「無願解脱」が達成された後であれば、
スムーズに成功するでしょう。

三解脱のうち無我性を見る「空解脱」は最も難しいように思う。
でも、自分のまわりの同じ年代の方が次々亡くなるのを経験し、
自分ももういいや、もう死んでもいいやと覚悟ができたなら、
いや、もう死んだことにしょう。解脱以外なんの未練もないと本気で思えたら、
いけるかもしれない。

でも、少しでも未練があると、難しいと思いますね。