阿羅漢


例えば、何時も静まっていることができるなら、阿羅漢であるかもしれない。
もし、師匠が阿羅漢であったなら、「だまって坐りなさい、そして今ここでありなさい。」などと指導するでしょうが、衆生はそういうふうに指導されてもなかなか静まることができない。それが衆生であるからです。

なぜ阿羅漢は静まっていることができるのかその根拠はシンプルなんですが、その真理を説くことができるのは智慧を得ている仏です。