受からの離

昨日から一気に静まってきて、「定」が現れてきましたが、こうなってくると、「全力少年」なども聞けなくなってくる。

どういうことかというと、三観察のうちでの「受」からの「離」が現れてくるからです。

「受」からの「離」は「禅定」がないと体現できない。

しかし、心身にストレスが残っていると「受」の苦と楽に混乱が見られ、受からの「離」への理解(体現)ができません。<参考メモ>

■ 受の働きは何か、どうしたら静められるかを知るために熟慮するとき、受を良く知るとは、受の味を良く知ることです。呼吸が体を変調させるように、受は心を変調させます。受はチッタサンカーラ、つまり心を変調させるという栄誉を受けます。



■ 受がどう心を変調させるのか、五蘊について勉強します。受が生じて幸福、苦、満足、不満足、愛、嫌悪を生じさせ、これらの考えや感覚を生じさせ、受が心を変調させる面を見て、変調させる原因と縁を知ると、非常に賢くなります。このように心を変化させる受を見ることを「チッタサンカーラを熟知する」と言います。

■ この受は悪玉です。ブッダは受について知るために「是が非でも受に勝たなければならない。世界に意味があるのは受があるからで、執着も受でする」と言っています。サーリープッタは、基本的に受を熟視し、熟慮して阿羅漢になりました。
(以上プッタタート比丘)