心06


> 今日、たまたま手帳に描いてある心の図式図を眺めていて、ある仏教用語がこの図式の何に当たるのかと疑問が沸き、・・・


この図式(図解)の肝心なところ、これがブッダがおっしゃる
「無明が頭であると知れ。明知が信仰と念いと精神統一と意欲と努力とに結びついて、
頭を裂け落とされるものである。(スッタニパータ)」の「無明が頭」というところとピッタリ一致する。


この「頭」が何にあたるのか、「頭が裂け落とされる」とは何が裂け落とされるのか、
ブッダは、いく通りにも別表現しておられる。


それが具体的には何を意味しているのか、それがどういうふうに消滅するのか、
その消滅を別のことばで表現すれば、どのようになるのか、
そして、その関連性の説明となれば、書籍にも、ネット上にもなかなか見つけ難い。


このあたりは、自性、真如のことではないので、ソレを体験できるか、できないかではなく、
苦が起きる仕組みを洞察できるか、できないかのところでしょう。

そのメカニズムを解明し終えていないと、
自分が何かを見て、瞬時に反応して、ああだこうだと対象を分別してしまうことになるのではないかな。(6/15)