サンカーラ


昔から、人に対応するとき、心身にある種の感覚が起きることがあり、その原因がサンカーラにあるのではないかと、仮定してきた。

原因が判ったとして、その感覚が完全に無くなるわけではない。

原因がわかることも智慧かもしれないが、それだけでは不十分だ。

それがコントロールできるようにならないと、心身のその感覚はなくならない。

つまり、人を含めた環境と関わり合いするとき、どうすればサンカーラが起きないようにすることができるのかが分かり、それができるようになることがポイントなんだと。

また、人が無明から、サンカーラを起こしてしまう様子をその場で、見ることができるようになってくれば、

あっ今、サンカーラが起きはじめた、あっ止まった。と明確にその瞬間に気づけるようになってくる。

起こすことができることは、滅することができるということも分かってくる。

う〜ん、ちょっと言葉使いが拙いかな、

「滅することができるのはサンカーラだ。」の方がいいか。(^_^)

また、避けることができずに起きたことに関しても、その対処の仕方が分かるようになってくるのではないかな。(11/3)


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> 心身にある種の感覚が起きることがあり

止と観がこれらの感覚の気づきの感度をUPさせる。

> それがコントロールできるようにならないと、心身のその感覚はなくならない。

これは止と観のトレーニングだけでは難しい、本番(日常の活動)での所縁への「捨の心」とダルマへの気づきが生じなければ、心身のその感覚の生滅を覚知することはできないと思う。(11/4)