サンカーラ04

昨日、参考図書として購入していた「アビダンマ講義第八巻」のことを思いだし、またもやパットと開いてみたら、そのページに次のように書かれてありました。

『ここでは分かりやすくするために、痛みという例を出しただけです。修行が進んでいる人は、この時点で「感覚」とラベリングしてしまいます。「感覚」という現象が起きたら、次に、欲も怒りも期待も希望も起こり得る。Upekkhaも起こり得る。遠離も起こり得る。感覚と一緒にどのような因縁が流れているのか、ということです。ここで完全に語るお釈迦様が、「vedana paccaya tanha感覚が起きたら渇愛が生じる」と説かれるのです。渇愛は三種類に分類されているので、ラベルは一項目だけですが、中身は可能性として三つ入っています。因縁法則を線形的にとかれているのです。ですから感覚が生じると、次に渇愛です。決まっています。しかし多次元性を発見しない限り、因縁法則を理解したことになりません。

では、感覚の次に遠離が現れたとしましょう。感覚の次は渇愛なので、遠離も渇愛の1つでしょうか、という問題が起きます。渇愛が生じるために無明が必要です。修行して智慧が現れた人に限り、遠離が生じます。ですから問題はありません。「これがあるとき、あれがある」という公式を訂正する必要はありません。・・・・・・・・・

因縁の法則は、遠い原因ばかり探す愚か者には発見できません。・・・・・・・ヴィパッサナー実践者は、直接原因と直接の結果のみを確認するのです。・・・・・ですから、因縁法則を発見するために、遠い原因ではなく、現象の直接原因のみを観察します。・・・・・・・・

ラベリングするという単純な作業を実行する修行者は、人間にとって想像を超えた難しい因縁法則を発見できるのです。』


上記の文章が、サンカーラについて書いたことの具体的説明になっている。
ただ、ラベリングしていては感覚に集中してしまうので、修行初期の頃は役立つが、「時空間」での巾広い注意力を維持しにくく、実際の場では直接原因との因縁を発見しがたいのではないかな。

要するに、その感覚が直前の何を原因として生じているのかを発見し、その原因が自分のサンカーラであることに気づき、その原因を修正したとたん、その感覚が消え失せるのを見つけるということ。

アーチャン・チャー「無常の教え」には、シンプルに、「アビダンマ講義第八巻」には具体的に書かれてありますね。(12/1)


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> 要するに、その感覚が直前の何を原因として生じているのかを発見し、その原因が自分のサンカーラであることに気づき、その原因を修正したとたん、その感覚が消え失せるのを見つけるということ。

付け加えておくべきことの1つは、上記の「感覚」は過去のサンカーラである身体各部位の痛み等の感覚とは少し違うということ。

その感覚は、サマーディで湧き出でてくる「ある種の感覚」が、実際の覚醒時に別のものに置き換わって出てくる感覚なのです。

つまり、今起きてしまったサンカーラが奥にある記憶庫(メモリー)からあるものをひっばりだして出てくるという感覚が何を原因としているかをその場で発見でき、「これがなければ、あれがなく」ということのコレをコントロールすることによって、アレを無くすことができるということですね。(12/1)