サンカーラ10

お相手の名前を書くと、その方の潜在意識を覗いてしまいかねないので、
ご挨拶は省かせていただきます。


> では「色←受←想」は何ものかですが、私はこれを無意識と考えたいのです。


気をつけることなしに、想って話したり、行動すること、これを無意識と考えたいのですね。


> 以上、「無明」は無意識のことだという考えを提起します。


無明は気をつけることなしに、話したり、行動することとした方がいいのでは。

つまり、

ありのままに想う者でもなく、誤って想う者でもなく、思いなき者でもなく、想いを消滅した者でもなく、気をつけて想う者の形態は消滅するということですね。(2/7)

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> そのように私も見ています。キーが「気をつけて」です。見性であり、ありのままを見ることだと思います。



世界に現れる前の想いに気をつけて、
ありのままに想ったり、誤って想うことがなければ、
潜在的形成力(サンカーラ)が起こりえない。

気をつけていることができているならば、サンカーラのこと、
名称の消滅こと、形態の消滅などがどういうことかわかっている。

もし、そういったことが、わからないのであれば、
気をつけるということができていないということですね。(2/8)

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> サンカーラの止滅とか、形態の消滅ということは実際の生活とは別だという考え方もあるでしょうが、私は別にはしたくないのです。



人と相対することが、サンカーラに気づかされるチャンスです。
天才的な修行者でないかぎり、サンカーラに気づかされる前後、懺悔がおきると思います。
懺悔しても、懺悔しても、癖が抜けなくて、なかなか気をつけることができないこともあるかもしれません。
このあたりは、ナーマの消滅のときとは違いますね。(2/9)