ひろがりの意識


「ありのままに想う者でもなく、誤って想う者でもなく、想いなき者でもなく、想いを消滅した者でもない。」という「想い」には関わらない境地は、「苦」にも関わらない。

なぜかって、それは苦しいという「想い」にも関わらないから。

つまり、「想い」に関わらない「境地」は幸せってわけだ。

もちろん「ブッダ」も想いに関わらない境地を知っている。

その「境地」はもちろん「私」という想いにも関わらない。

「無心無我」なのだから。