イメージ(識)の世界21


狭き門は解脱の通路という別名があり、ここが開くと、静かな至福に満たされるとされていて、実際にこの静かな至福は経験できる。

この狭き門の扉が開かれることの記述がないか、書籍やネットで調べてきましたが、かなり前にそのときの様子が詳しく書かれているHPを見つけたことがある。

日本人の方で、もうかなりご年配になられていると思う。HPを探してみたら、すぐ見つかりました。

「私の宗教体験」というHPの「苦悩を通って光へ」というページに書かれている。

そのメイン部分を引用させていただこう。これはまさしく解脱の通路が開かれたときの記述だと思う。

●覚醒のうしろ

『覚醒は、現世の中にあって現世とは異なる秩序、無の世界と背中合わせのところまで出てしまうことである。私達は現世から脱却して八面玲瓏の覚醒の中で万象を一望しているうちに、次第に覚醒の背後に、もう一つの覚醒が位置していることを感じるようになる。はじめ覚醒野は無方の広さを持ち、何処まで行っても不変の純一状態を保っているように思える。覚醒野は「太虚」にほかならず、際限のない無底を特色としていると考えるのだ。しかし、やがて今自分が経験している覚醒野は内湾のようなものであって、その背後にはもっと広大な外洋があるという感覚が芽生えてくる。

個人の覚醒の他に、もう一つのより透徹した覚醒があるという予感が、決定的な確信に変るのは、無論「到来」を経験してからだ。私達はそのものがやってくる迄、多くの先達の言葉にすがって生きて行くしかない。・・・・・・・
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私自身のケースについて、見てみよう。
 私における「到来」は、早暁の半醒時に、ありありと感じた「被包摂」の体験だった。明方に目覚めた私は、昼間のうち押しのけ排除していた不安や懸念に意識を占拠されて、身動きできなかった。私は海岸に打ちあげられた魚のように、暗い想いで心を一杯にしていた。私の内面のどこにも闇を反転させる光の契機はなく、私の外の世界にも燐火ほどの光明も認められなかった。人間は欠陥だらけの不全者で、よるべない不安を抱いたまま死んで行く存在であった。私の心を充しているのは、絶対的な無明感であった。

 そして私はその時、自分が澄み切ったものに包まれていることを感じたのだ。それは、
「仏は常にいませども、うつつならぬもあわれなる。人の音せぬ暁に、ほのかに夢に見えたまふ」

という静けさでやって来て、私の全身を包んだ。私を包んでいるのは覚醒であり、同時に覚醒を通路としてやって来たその奥にある深い慈悲だった。それは形もなく姿もなく、知らぬ間に寄り添ってくる非地上的な光であり、脆弱なものを護持する永遠なるものであった。

 私は透徹した慈悲に包まれながら、薬湯にひたっているような気がした。人間の心は、そのものがやって来てとまる「とまり木」であり、この世は絶対者が降り立つテラスだと思った。

 私の不全感・自己欠損感覚は「到来」を迎えても解消しなかった。いや、永遠なるものに包まれたことによって、それらの感覚は一層明確になったといった方がよかった。「至福経験」との差異はそこにある。あの時には、内面の暗い部分が一挙に決潰してなくなってしまった。

今度は心の暗さは暗さとしてそのまま残り、それが救済のよろこびの根拠となることでその反対物に転化したのである。「経験」の基本的構造・・・心の闇が深いだけ歓喜も強いという関係は今回も成立していたが、決定的な差異は前回のよろこびが自己に帰属したのに反し、今回はそれが絶対他者に帰属している点であった。

救済は彼岸から来たのであり、沈んで行く重みを支える浮力は外から投入されたのだ。30代で味わった歓喜はまさしく私自身の歓喜であって、だから私はもう死んでもいいと思ったのである。しかし、50代でのそれは、爆発し奔出する歓喜はなく、感じたのは底の深い感謝の気持だった。私は確かな安心を感じたが、その静けさ、その確かさは私を包むものの静けさ確かさから来ていた。

 私には救済の内容が何であるかわからなかった。極楽往生を意味するのか、復活を意味するのか、そのへんが不明のままで救済の成立していることへの確信があるのである。この確信を演繹して行けば、

「罪ある身だから許される」
「償いは完了している。故に償うべきものを多く持つものほど、大きな恵与を受けている」
「善人なほもて往生す、いわんや悪人をや」

などの宗教的信条に発展するに違いない。

俗な言い方をすれば、救済のよろこびとは何も気にしなくてもいいことが明らかになった時に、一番心配していた者が一番よろこぶようなものなのである。

 到来したのは、完全に無私なるものであり、永遠に母なるものであり、個物の痛みや悲しみを自らの痛み悲しみとするほかに、自らを持たないものであった。私達が宿業として身に負っている除去不能の苦しみ、脱却不能の悲しみをそのままに見守るものであり、私達はそれに見守られると感じるだけで、負担がそっくり向うに移ってしまうようなものであった。』(3/29)